夏がまだ続いているかの日差しの中で、
御殿場市スポーツ祭を行うことができました。関係者の皆様、各校の先生方、保護者の皆様ありがとうございました。
小山高校の結果は
1回戦御殿場高校と対戦し、
シーソーゲームを制することができず、
3-4の悔しい敗戦となりました。
先制され、追いつき、逆転し、追いつかれ、逆転され、追いつき、そして最後に決められました。
その後にも同点に追いつけるチャンスもありましたが、決めきることが出来ず、3位決定戦に回りました。
3位決定戦では、御殿場西高校と対戦し、
幸先よく2点を取ることができましたが、その後失点し、追加点とったと思ったら、その直後のスタートで失点しと、バタバタとした試合でしたが、結果は5-3と勝つことができました。
細かな試合での局面における課題はありますが、大きな課題としては、やはり『意識』『心』の問題にあると感じます。
相手チームに対して臆することなくといった相手に対しての心ではなく、
自分自身に対しての意識・心の部分に
甘えがあったり、
覚悟がなかったり、
勇気が出なかったり、
自覚が持てなかったり、
そんなことを感じてなりません。
『俺についてこい』
の対極にある言葉は
『他人任せ』『人任せ』
『誰かがやってくれる』
ですが、
実はかなりの日常の生活の中で、
この
『他人任せ』『人任せ』
『誰かがやってくれる』
が多いと感じます。
日常の中で多いので、
当たり前ですが、
サッカーの中では誤魔化せずに
そんな甘さが出てしまいます。
人任せとか
誰かを頼るとか
誰かに依存するとか
色々あるけれど、
例えば、親・家族に対してはどうだろうか?
例えば、色々なことを
『親まかせ』『家族任せ』
になっていませんか?
自転車で行けるところを
『当たり前に』
車で送ってもらっていませんか?
【親がやってくれる】
という感覚が無意識のレベルまで、自分自身に染み付いてしまっていませんか?
無意識のレベルというのは、
当たり前ということです。
親には親の時間があります。
家事をしたり、仕事をしたり、
休みの日には仕事で疲れた心身を休めることをしたりしたいでしょう。
車で送ってもらうということは、
その時間を削っているということです。
それをわかっていますか?
とはいえ、
家族の力を借りなければいけない時もまだまだあります。
そんな時はお願いをして、
家族の力を借りさせていただけばいい。
だけど、
自分の力で、自分の時間で出来ることも
親の力を借りている。
意識の低い中で借りている。
無意識のうちに借りている。
そんなことを繰り返していると
そんなことを積み重ねていると
本当に助けや支えが必要な時にも
それが当たり前になっているから、
『感謝が生まれない』
これは危機的な状態。
感謝の思いが生まれるのは、
本当はこんな時。
自分で出来ることを一生懸命やって、
自分の時間で頑張ってやって、
とにかく自分でチャレンジして、
でも、
出来なかったり、
間に合わなかったり、
不足していたり、
そんな時に
誰かの支えがあって
誰かのアドバイスがあって
誰かの助けがあって
誰かの言葉があって
誰かの行動があって
自分が救われる!
ここで、
『ありがとうございます』
っていう素直な真っ直ぐな本気の想いが生まれるのではないでしょうか?
感謝の気持ちってのは、
本当に自然と生まれるのがいい。
そのためには、
クラスでも学校でも家でも
まずは、
自分のことを懸命に自分でやる。
誰かに頼らずやること。
ここから始めることだろう。
何かにつけて先生が伝えてくれるとか、
クラスの誰かが伝えてくれるとか、
そう思うのではなく、
自分のことは自分でやる。
いつまでの期限で何をやるとかも、
誰かが教えてくれるのを待つのではなく、
自分で手帳にでも書いて、
自分のことを自分で管理する。
集団での挨拶なども、
誰かが大きい声でやってくれるという他力本願ではなくて、
自分が先導を切って大きい声を出す。
こういう自立・自律した人間が集まったサッカーは、絶対に粘り強くて、簡単には負けないはずだ。
0コメント